AD
わたしが断捨離を本気で考えたのは
義妹が50歳を前に亡くなったから。


AD


彼女がなくなって2年半になります。
わたしなりに彼女のことを
少しづつ書きとめておこうと思います。
彼女のことを思い出すという作業が供養になる気がするから。

ajisai4.jpg 

彼女がスキルス性の胃がんと告知されたのは
亡くなる1年半ほど前でした。
B型夫といつものように義実家へ顔を出し、
お義母さんとたわいのない世間話をしていた時です。

「そういえば、S美がお腹の調子が悪くて近所の医者に行ったんだけど、
念のために来週、癌センタ-で再検査するように言われたんだって。」

「そうなの?心配ですねぇ。」

そう答えながらも本当に癌だなんて思ってもみませんでした。
B型夫も毎年のように健康診断でひっかかって再検査に行っていましたが
結局は悪いところなど見つかったことはありません。
再検査なんてそんな程度だと軽く考えていたのでしょう。

AD


B型夫にお義母さんから泣きながら電話がかかってきたのは
それからしばらくしてから。
うつむいたまま「うんうん。」としか言わない夫。
冷ややかな空気がドライアイスのように床に広がりました。

「癌、見つかったらしい。」
電話を切ってボソッといった夫に、わたしも返す言葉などありません。

ごく普通の日常があっけなく崩れ落ちる恐ろしさに身震いしました。



癌センターで告知を受けた後にすぐに義妹は入院をしました。
すでに転移が広がっていて手術はできないと言われ、
入院は抗がん剤治療のためでした。

夫はお見舞いに行ったが、わたしは行けませんでした。
何と言葉をかけたらいいのかわからなかったから。
それが正解だったのかわからないけれど、
今でも後ろめたく感じているのは事実です。




その後も義妹は抗がん剤のため入退院を繰り返しました。
義父母は平日は毎日病院や義妹の家へ通って世話をしていました。
一人にするのが怖かったんだと思います。
若くして結婚したため息子たちはすでに大学生と社会人だけれど
男の子はまったく役に立たないとお義母さんはボヤいていました。



義実家に行くたびに
お義母さんは一度は泣きました。
「どうしてS美が、、、。」
何度も繰り返す同じ言葉に
わたしは頷きながら黙って聞くしかありませんでした。

義妹はS美ちゃんとその妹Y子ちゃんの2人。
けれどY子ちゃんはご主人の転勤でずっと千葉で暮らしています。
彼女がこちらにいたらお義母さんもS美ちゃんも心強かったろうに。
本当に”男”は黙っているばかりで何の役にもたちません。


関連記事
  • このエントリーをはてなブックマークに追加