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あんこです。
今日もご訪問いただき感謝です\(^o^)/
昨日はおいもとえびの天ぷらを揚げて母の家に行って来ました。

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最近では手土産にデパ地下の和菓子などを持っていっても
「お腹が空いてないから。」と手をつけないのですが
今回はその場でおいもの天ぷらをおいしいと食べてくれたので持っていったかいがありました。

顔を出してもこれといってすることもなく、のんびりと母の話を聞くくらいです。
以前は孫たちが小さかった頃の思い出話をしていたのですが、
そのうちにわたしたちが子供だった頃の昔話が多くなり、
戦時中や戦後の苦労話が出てくるようになってきました。
そして最近では母自身が子どもだった本当の昔話がでてきます。

脳の海馬は新しい記憶から少しづつ侵食されていくようです。
孫たちの名前も歳も今ではゴチャゴチャになってきているけれど、
遥か昔に母が良く遊んだという近所の友達の名前が出てきたりします。



母のそんな昔話はほとんど一人語りで思いつくままを口にしているようです。
なのでそれは誰?とか何?とかのツッコミを入れないでふんふんと聞き流します。

母は現実的な人なので自分の若い頃の思い出話などはほとんどしたことがありません。

戦時中や戦後の話もぽろっと何かの拍子に口にするくらいでした。

あの頃は話は思い出すのも嫌だと語りたがならかった母ですがぽつぽつと話すようになりました。


少しづつこの現世を離れて父や祖父母のいる場所へと近づいていっているのでは?
なんとなくそう思うようになりました。
こんなセリフは一昔前なら縁起でもないと思ったでしょうけれど、最近の母はそんな感じがしっくりくるんですよね。

その日の話は母の母(祖母)の兄の話でした。
祖母の兄の話を聞くのは初めてで、祖母は一人っ子かと思っていました。

叔父さんには母は小さい頃に数回あっただけだがとても優秀な人だった。
地元の高等工業(今の国立工業大)在学中に徴収され、若くして戦死してしまった。
小さな頃に祖母の実家で会った覚えがあるがとてもやさしい人だった。
あんな立派な人がなぜ、若くして死ななければならなかったんだろう。
あの優秀な叔父さんが生きていたら母もあんなに苦労しなくて済んだろうに、と。

そういえば長女が地元の工業大学への入学が決まった時に、
「あの学校には大おばあちゃんの兄ちゃんが通っていたんだよ」と長女に話していたのを思い出しました。
「とても優秀な叔父さんだったんだよ。」と。


「ここのところ、なんだかおじさんのことをよく思い出すのよ。」と母。
祖母はまだ若く母もまだ戦争の悲惨さも戦後の苦労も知らなかった「古き良き時代」の記憶を彷徨っているでしょうか。
みんなのところへと母がいくのも時間の問題なんでしょうね。

最近は父の仏壇に手を合わせてお願いします。
「お母さんが寝込んだり、ボケ足りする前にお迎えにきてあげてよね。」
長生きして欲しいのは当然です。
けれどこれが母にとって一番幸せなことで、本人も望んでいると思うから。

父が願いをかなえてくれるまではゆるゆると母との時間を楽しむこととしましょう。
頼りにしてるからね、お父さん。


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