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わたしが先天性臼蓋形成不全による変形股関節症で、
raoの手術を受けてから13年になります。
先日、久々に同部屋だった人から連絡がありました。
車椅子


@rao手術の同室仲間から久々のメール

実は8年ほど前に携帯を水没させてしまい、すべてのデータは消えてしまっています。
そのため届いたメールに名前の表示は出ませんが、
文章からMさんの顔が浮かびました。

改行なし、ストレートなとこは彼女の性格そのまんまです(*’U`*)
 ご無沙汰してます足の調子どうですか?私は右足が痛い○○整形に行ってきたすきまが狭くなってきたヤバいまたあいたいてす色々話ししたいです
○○整形はRAOの手術を担当してもらった先生が
退院後に個人で開業した整形外科医院です。

同部屋仲間からの連絡は10年ぶりくらいでしょうか。
退院してから3年くらいはお互いに連絡を取り合い、
外来での診察は日にちを合わせ、待合室で同窓会状態でした。

しかし外来受診も1月に一度から3月、半年、1年に一度と減り、
先生の引退後は自然と連絡を取ることもなくなってしまいました。


@先天性臼蓋形成不全による変形股関節症

わたしが先天性臼蓋形成不全による変形股関節症と診断されたのは40歳になる直前でした。
”先天性臼蓋形成不全”というのは生まれつき股関節の大腿骨の頭が浅い状態です。
歳ともに筋肉が衰えると体重を支えられなくなり、痛みが出てきます。

わたしの場合は下の子を出産したころから疲れやすくなっていました。
妊娠、出産を機に痛みがでる方は多いようです。
妊娠による体重増加や育児で、身体への負担が大きくなるのでしょう。
ちなみにわたしは2回の妊娠とも切迫早産で入院しています。
二人とも体重増加は7㌔程度だったのですが、、、。


@立ち仕事をはじめてから悪化する股関節の痛み

下の娘が2歳になったところで保育園に預けました。
ファーストフードでパートを始め、毎日目の回るほど忙しくなりました。
立ち仕事のためか足は慢性的にダルい状態でした。

仕事はなんとか慣れましたが、足のダルさと痛みは深刻になっていきました。
これも歳のせいなのかと思っていたのですが
下の娘が小学校に入学した最初の授業参観で10分と立っておられず愕然。
さすがに「これは尋常じゃない。」と重い腰をあげて病院を受診したのでした。

本当は日ごと増していく痛みに危機は感じてはいたけれど、
怖くて認めたくなかっただけなのかも知れません。
人は本当に怖いものは見なかったことにしたがるものですよね。

最初に診察した国立病院では人工関節を提案されましたが、
仲良くしていた整形外科の看護師Nさんに自骨での手術を勧められました。

Nさんの助言がなければ人工関節置換手術をしていたでしょう。
若い頃の人口置換手術は何かとリスクが高いことを後で知りました。
彼女には感謝してもしきれません。


@rao手術は3ヶ月の入院とリハリビが必要

手術をお願いした先生はRAOの手術例が多く人気の先生でした。
この病院と先生も看護士Nさんから教えてもらいました。
彼女が整形外科で勤務しており、情報が豊富だったのは幸いでした。

診察室の前には大勢の患者が溢れ、1時間待ちは当たり前、
手術は半年待ちの状態でした。

人工関節置換手術なら入院は3週間に対し、RAOだと3ヶ月。
それでも自骨での手術を選択したのは次の2点です。
人工関節は正座ができないなどの動きの制約があること。
30代で人工関節にすると活動量が多いため、
標準の耐用年数である10年はもたずまた置換手術をすることになるだろうと言われたこと。
(現在では人工関節もよくなっているので耐久性も向上しているはず。)

小学生2人を残しての入院には不安がありましたが
その時のわたしはかなりの痛みが続き、日常生活にもかなりの支障がでてきていました。

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@変形股関節症による激しい痛み

手術を待つ間にも変形股関節症による痛みは日々増していました。
100mほどのコンビニに歩いていくのも辛いほどになっていました。

立ち仕事はできないので料理も椅子に座りながら、
買い物も重たいものは持てないため値段が高いが宅配に頼る、
濡れた洗濯物も多くは持てず、洗濯機とベランダを何度も往復しながら、
などとかなり不自由な生活でした。

眠る時も羽毛布団さえ重く感じ、足を庇うため体勢も苦しく
激痛で目が覚めるなど熟睡できない状態だったのです。

今思えば痛みでイライラしっぱなしで、子どもにもあたっていたと思います。
同じ病気で常に続く痛みでうつ病になる人も多くいました。
 (残念ながら手術後も)

日常的な痛みに軽い精神安定剤を処方してくれる整形外科もあるようですが
痛みが長く常態化し精神的に辛い思いをしているなら
ペインクリニックの受診も検討してみることをお勧めします。


@手術後の孤独が一番辛いかった

手術は無事に終了。
辛かったのは術後2週間ほどの一人部屋での絶対安静状態。
ベットの上でトイレにも行けずただじっとしているだけ。

背中には脊髄麻酔の管、両足にはエコノミー症候群予防のためのマッサージ機、
手には点滴、、、自由に身動きできない状態です。

もちろん、股関節をノコギリで切った張ったしている訳で 大人しくしていなければならないことはわかります。
けれど小さな子を主人や親に任せているので
病院には土日以外はほとんど誰も来ません。
一日に何度か忙し気に出入りする看護士さんと話すくらいだったのです。

なので2週間ほど後に車椅子の許可が出た時は嬉しかった\(^o^)/
本当に「シャバに出てきた」感がありましたw

トイレも、売店も自分で行ける。
椅子(車椅子ね)に座ってテーブルで食事ができる。
そんな当たり前のことがとっても新鮮で嬉しかったのを覚えています。


@大部屋に移り心強い同室との生活

車椅子に移ると大部屋へ移動することになります。
4人部屋は同じRAO手術の患者ばかりで
同じ病気に悩んできたおばちゃんたちとは話が合いました。
メールを送ってきたMさんも、この時隣のベットにいた方です。

なんせ手術を受けた大病院は外出禁止で時間はたっぷりあります。
それまで同じ病気の人とじっくりと話したことはありませんでした。
同じ辛さを共感できる仲間との出会いはとても心強いものでした。

そういえば個室を出る時に、
看護師さんが
「わからないことや、困ったことがあったら積極的に同室の先輩に聞いてくださいね。」
とアドバイスをしてくれました。
こういうことだったのかも知れません。


@郊外のリハリビ病院へ転院

4週間後には郊外の個人のリハリビ病院に転院しました。
ここは色々な意味で開放的で自由。
買い物やお茶に外出も奨励していましたし、週末には外泊も出来ました。

天気がよければゆっくりと歩いて20分のイトーヨーカドーまで
リハリビ代わりに松葉杖を両脇に抱えて歩いて散歩へ行っていました。

病院で理学療法士の先生がついてリハリビするのは毎日20分ほど。
他には自転車の自主リハリビなどもありましたが
それだけでは歩くための筋肉はつかないと言われたからです。

同じ病院からの転院組も何人かいて
近くの喫茶店にお茶に出かけることもありました。
手術前の常に付きまとう激痛から解放され、皆結構リラックスしていました。

退院後にはまだ不自由な足で家事に追われる日々が待っています。
嵐の前の静かさといったところでしょうか。


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